
辞職を表明した宮崎“イクメン”謙介議員の不倫相手とウワサされたことで、思わぬ脚光を浴びてしまった鈴木亜美。
久しぶりに聞く名前を懐かしく思うと同時に、今の年齢を知って愕然とした。
まばゆいばかりの輝きで16歳でデビューした彼女もすでに34歳。あれから18年も経つのか、と……。
デビューから快進撃だった鈴木あみ
1998年2月、テレビ東京系『ASAYAN』内の企画「ヴォーカリスト・オーディション・ファイナル」で優勝し、歌手デビューが決まった鈴木亜美。
優勝特典として小室哲哉プロデュースが告げられ、同年7月1日に『love the island』でデビューとなった。
また、それに先立ち小室の提案により本名の鈴木亜美から芸名「鈴木あみ」へと変更。
歌手デビューにあたって遠峯ありさから改名した華原朋美を思わせる“小室流イニシエーション”を経て、
正式に「小室ファミリー」として華々しいデビューを飾っている。
デビュー曲は30万枚のスマッシュヒット。ファースト写真集も25万部を突破し1999年の写真集売上ランキング1位を獲得。
ファーストライブのチケットは数分で完売。大きな瞳にアヒル口、天真爛漫な笑顔のロリータフェイスという、久々の「正統派アイドル」登場に世の中は沸き立った。
1999年3月発売のファーストアルバム『SA』は約180万枚のミリオンヒットとなり、紅白にも出場と、怒涛の快進撃を続けていく。
全盛期を過ぎても凄かった小室哲哉のプロデュース力
プロデューサー小室の果たした役割は大きかった。…
レコード会社やタイアップ先を決めるなど、マネージャー的な役割も果たし、ある意味彼女のためのレーベルとなる『TRUE KiSS DiSC』まで設立している。
当時はすでに小室プロデュース時代の全盛期を過ぎていたが、意欲的に新たな試みの楽曲にチャレンジ。
しかも、わずか8ヶ月の間にシングルを6作もリリースするといった驚異のハイペースぶりだった。
ファーストアルバム『SA』にはこの6作を完全収録し、メガヒットへの準備も万端。
さらに、TM NETWORKの名曲『Be Together』を提供する「裏ワザ」も駆使。
これが鈴木あみ最大のヒット曲となったのは、“小室マジック”健在といったところだろうか。
鈴木あみ、“芸能界のタブー”に触れてフェードアウト
2000年にはセカンドアルバムもミリオンセラーとなり、27公演にもおよぶ全国ツアーを開催と、勢いに乗る中、
所属事務所社長が脱税により逮捕というまさかの事態が発生してしまう。
もちろん、鈴木あみ自身に非はないのだが、それに乗じて両親と共に事務所独立を画策したのがまずかった。
芸能界の“不文律”に触れたことにより、表舞台からフェードアウトさせられてしまったのだ。
「鈴木あみ時代」最後の小室プロデュース・シングルとなる『Reality』 発売直前のインタビューで、
歌詞に引っ掛けて「“変わらない夢”とは?」と尋ねられた鈴木あみはこう答えている。
「それは“いま”かな。やっぱ、今、テレビで歌ってても雑誌に出てても、
1位を取っても、衣装がキランキランしてても(笑)、全然夢は叶っているんだけど、でも全然これからなんだよね」
「夢は終わらない。…
https://www.excite.co.jp/News/90s/20160222/E1455780016450.html
一転な
SMAPだって独立しようと思うと、こんな結果になるし、
能年玲奈こと「のん」の騒動も記憶に新しいし、
日本の芸能界ってのは、東京医科大学や昭和大学の女性差別騒動や裏口騒動と同じように、
日本の旧態依然性、社会と法曹の不健全性の象徴の1つではあるよね。
当時は小室の楽曲で売れてただけだから
小室と対立したらみんな干されてた
TRFも然り
>>114
TRFってTetsuya komuro Rave Factoryの略だっけ?
trfにして無理矢理、意味も変えたんだよなw
>>1
歌唱力がちょっと・・・
ラブズアイランドとかホワイトキーは小室が鈴木の声とリズムを活かして
頑張っていた感じがしたけれど、
ビイ・トゥギャザーをカバーしたという事が、当初からTMファン・かぶっているB‘zファン・アクセスのファンの憤りをかったというのはあった。
正直イラっときたもの。
あれを歌っていいのはウツだよ。
ヒューマン・システムを丸1枚聴き直してくれ。
全員知ってる
>>1
いい記事だな
所属事務所社長が脱税したことは当時タイムリーに
ニュースや雑誌記事を読んだ人しか憶えてない
鈴木あみの親はそこを辞めさせようとしたが
メディアの印象操作で親が法外なギャラを要求したように
大衆には刷り込まれた
>>1
あのとき、実力路線でなくて
カワイイ路線、を選択してしまった
だから、いまのこの人がいる
これしか理由ないのでは?
顔が怖いんだよ…。
>>1
鈴木あみとモーニング娘(実質安倍なつみ)の
シングル同日発売とか
今のラストアイドルなんか
単なるお遊びだな
82年2月生まれだから36才だよ
いつのまに年下になってんだよ
親のせいじゃろ
なんか、まだまだあるって感じ。(中略)なんか、自分の中で、まだ自分が鈴木あみになりきれていないっていうか」
「これから」は来ないまま突然終了となり、2002年の再デビュー時には本名の鈴木亜美に改名。「鈴木あみ」にはなりきれないままアイドル活動のピークを終えてしまったのであった…
…。
2014年にはデビュー15周年記念シングル『graduation』を配信限定でリリースした鈴木亜美。実はプロデューサーは再び小室哲哉なのである。
つい先日には、小室の楽曲をモチーフにしたパチンコ台がデビューしたが、そこにも鈴木亜美は登場。
小室に『Be Together(一緒にいて!)』と寄り添う鈴木亜美、「夢は終わらない」ようだ
干されてた頃、半グレと遊んでたジャニーズ山下智久とクラブでイチャイチャしてた
鈴木亜美はタッキーの元カノだったのに節操がない芸能界
>>3
>この歌唱力で一時的にでも売れただけ奇跡やで
それを弁えてれば“売れてるのは100%事務所の力!”って理解して
“独立”なんてアホなことはしないはずだけどな…
それ、当時ほとんどの人が思ってたよな
ハッキリ言って音痴だったしw
歌じゃなくて喋ってるだけだもんな
奇跡じゃなくそういう土壌やん
日本で売れた曲ランキングの半分は歌唱力ないやろ
そのとおりだけどアイドルだったからな
顔だけで当時はイケてたな
なっちと鈴木亜美は見たやつが学校で話題にするぐらいのかわいさ
そうなのか。
当時からその2人の良さが分からず、
ブス専だと勘違いされたくないから、
友達間で話題に出た時は黙ってたな。
>それに乗じて両親と共に事務所独立を画策したのがまずかった。
結局ここだろ
>>7
金目で欲を出したせいで終わったよねwww
金の卵を産むニワトリを殺したみたいなものさ
大人しく操られておけば、ある一定の利益を捧げたとこで解放されたのにね(道筋を作ってもらって)
売れて絶頂の時って自分がコマに過ぎない事を忘れちゃうんだろね、代わりなんて幾らでもいるのに
銭ゲバ親父が全部ダメにしたよな事務所に安い給料でこき使われている!自分たちでマネージメントすれば全部自分たちの稼ぎ!なんてアホな夢見てなるたんだろうな
芸能界なんて事務所が全てなのに
この子も大したことなかったのに小室プロデュースと事務所の莫大な宣伝があったから売れただけなのに勘違いしちゃったんだろうね
すごく若い両親なんだよな。
父親が二十歳で母親が十八歳位の時の子供じゃなかったっけ?
上に年子?兄貴いなかった?
アサヤン密着で家族もテレビに出てた
まあこれだろね
大したことなくても売れるのも居るんだから、やっぱ事務所の力は大事なんだな
たいしたことあるのは誰なんだよおい
宇多田か?コラ
事務所独立
他に問題なし
嫌がらせで干されなくても仕事依頼なかったと思うよ
騙そうとした黒幕が確実に存在する
両親は名義だけだろうな
>>21
なるほど。やっぱりそうか。
でも未だに芸能界にすがれるのもスゴいよね。
これもまた後ろ楯がいるのだろうか?
あと鈴木の兄がロンブー淳にそっくりだったな。
それをテレビで見る前に淳と噂があって、淳がラジオで身に覚えがないと弁明してたのを覚えてる。
契約だから仕方ないのか?
よく走ってたよな、間に合わなかったけど
魔裟斗について頑張って走ってた塚田も凄いわ
芸能界が実力主義じゃないことなんて、傍目にも明らかなんだし
見通しが甘かったってそれだけじゃの
実力も怪しかったよ
それで家族と独立画策
今聞いても良い
クラブDJとかやり出したりさ
結婚相手はどっかのバカンス地で声掛けて来た男でデキ婚だっけ
今はインスタで必死にママしてるのアップしてる
ちょっと早まっただけだよね
篠原涼子が売れっ子女優じゃん。
TRFやhitomiも懐メロ歌手としてそれなりに見るし。
篠原はファミリーじゃないらしい
料理芸人としても頑張ってるよ
引用元:http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1533360123/